俺たちのアイドル池田出世し過ぎだろJK
2015年02月
Artist sukekiyo

EP 『VITIUM』

Tracklist
『VITIUM』 ・・・DIR EN GREY(一巡)のデビュー作にして最高傑作である『ARCHE』を司るキーワードの一つに【sukekiyo】の存在があったことは否定しようがない事実で、そのDIR EN GREYのフロントマンであり"サVカル系男子"ことン゛ギョウのソロ・プロジェクト、tamapiyoもといsukekiyoの二作目となるミニアルバム『VITIUM』がリリースされた。
スタイリッシュ・HENTAI ・・・おいら、このン゛ギョウ率いるsukekiyoとRiversideのマリウスくん率いるLunatic Soulに親和性を見出していると同時に、カナダのElsianeに対しても同じような親和性を感じていて、何を言おうがこのミニアルバム『VITIUM』は、端的に言うとそのElsianeを彷彿とさせる、ジャズや80~90年代昭和歌謡の懐かしい匂い漂う作風となっている。デビュー作の『IMMORTALIS』と比較しても、かなり変則的いや変態的、様式的ではなく奇形的なスタイルで、前作で言うところの”zephyr”のようにキャッチーな分かりやすさはなくて、それこそsukekiyoの歪んだ性癖を垣間見るかのような、それは90年代メロドラマの濡れ場シーンばりのエロいムードを醸し出すような、それは日本が良くも悪くも輝いていた"あの頃"の情緒感を現代に蘇らせるかのような、俄然スケキヨの代名詞である"スタイリッシュ・HENTAI(紳士)"っぷりを発揮している。前作の『IMMORTALIS』は、言うなれば乱歩地獄を音像化したような、大正ロマン溢れるサVカル系ポスト-ミュージックを軸に、かつデビュー作なのもあって結構色々な事やってて、悪く言えば作品のコンセプトに一貫性がないように感じたが、逆に今回の『VITIUM』では【変態性】と【昭和歌謡】という2つのキーワードを二大コンセプトとして見定める(focus)する事で、作品に"まとまり"というのが生まれ、同時にバンドが"やりたいこと"が明確に意思表示できている。前作と比べて曲数が圧倒的に少ないにも関わらず、二作目の余裕というか"バンド"として成熟された感というか、楽器隊のアンサンブルがより強固(メタリック)になったことで、より深みが増した濃厚な世界観を構築している。そして今回、DIR EN GREYでもお馴染みのチュー・マッドセンをエンジニアとして起用した事で、"ン゛ギョウのソロ・プロジェクト"という枠組みを超えた、俄然"バンドとしてのsukekiyo"である事を強く印象づけている。要するに→前作の『IMMORTALIS』の延長線上やボツ曲集なんて事はなく、一つの全く新しいアルバムとして作り込まれた完成度の高さと、前作に優るとも劣らないsukekiyoのHENTAI的魅力、そして"新人バンド"としての未知なる可能性(ポテンシャル)が存分に詰まった一枚と言える。
・・・それこそ幕開けを飾る#1”leather field”が、この『VITIUM』を象徴していると言っても過言ではなくて、前作の”latour”を思わせるアルペジオや除夜の鐘の如し霊妙な和音を引き連れて、Opethの名盤『Still Life』ばりの複雑怪奇なリフ回しやGソロを織り交ぜながら、ワンワン!!と狂犬病にかかったようにン゛ギョウが豹変する怪奇的なパートへと展開していく。その成熟したバンド・アンサンブルに持ち前の"Post-感"が自然と溶け込む様は見事で、この曲だけで"ン゛ギョウのソロ・プロジェクト"ではなく"バンドとしてのsukekiyo"という力強い意思を感じ取ることができる。そして前作の”the daemon's cutlery”の流れにある、楽器隊の変態的で不規則なリズムを軸に妖しく展開する#2”dunes”を聴けば、あの『IMMORTALIS』では京のボーカル・メロディに楽器隊が引っ張られる形だったが、今回は楽器隊=バンド主導のアルバムだという事が理解できる。で、母なるスケ子が産み落とした赤児、その名もtamapiyoちゃんの歪んだ泣き声が暗黒の中で響き渡るインストの#3”dot”を挟み、一転してインプロビゼーションを意識したようなジャズ/フュージョン風のアダルティな匂いが靡く#4”foster mother”は、ネオンが夜の街を淡く妖艶に照らし出すような幕開けから、DIR EN GREY(一巡)の”懐春”に通じる芳ばしい香りとフェミニンなミニマリズムをもって、まるでエマニエル夫人のようにエロティックかつエレガントにユラメキながら、欲にまみれてどこまでも堕ちていく女の物語を描き出していく。

『はぐれ刑事変態派』 ・・・ところで、"あやや"こと松浦亜弥が2002年にリリースした”草原の人”という曲があるんだが、この曲は美空ひばりが書いた歌詞をつんく♂が作曲したもので、聴いたことある人はわかると思うが、それこそ往年の歌謡曲を彷彿とさせるメロディとノスタルジックな情緒に溢れた名曲だった。そして13年の時を経て、再び今度はsukekiyoが”雨上がりの優詩”とかいう歌謡曲を現代に産み落としたのだ。まるで『はぐれ刑事純情派』のカバー曲かな?ってなるくらい、テレサ・テン顔負けの和楽器とヴァイオリンを駆使した優美なイントロから、コブシを効かせたン゛ギョウの情感あふれるボーカル・メロディとピアノが織りなす哀愁に満ち溢れた音使いまで全てが往年の昭和歌謡そのもので、これはもはや『はぐれ刑事純情派』ならぬ『はぐれ刑事変態派』と言っていいレベルだ。特にサビの「別れた~」って所は凄いね。まるで堀内孝雄あるいは谷村新司、もしくはテレサ・テンの愛人魂がン゛ギョウに乗り移ったかのようなエロい息遣いと感情表現を見せつけている。僕が面白いと思ったのは、あの『ARCHE』ではこれまでと違って"大衆"に訴えかけるような"洗練"されたボーカル・メロディを聴かせていたン゛ギョウだが、この『VITIUM』では以前までのDIR EN GREYを超える昭和歌謡の流れを汲んだメロディを歌っていて、それがあまりにも対極であるということ、かつ本家のDIR EN GREYとも一線を画しているということだ。そもそも、ビジュアル系と歌謡曲というのは切っても切れない関係で、DIR EN GREYの同期であるJanne Da Arcのフロントマンyasuのソロ・プロジェクト、ABCことAcid Black Cherryは『Recreation』シリーズとして往年の歌謡曲をカバーしていたりするが、まさかオリジナル曲でソレをやっちゃうン゛ギョウすなわちsukekiyoの変態力の高さにはドエロのyasuもお手上げだろう。しかし、ただの歌謡曲で終わらない所がsukekiyoのド変態っぷりを表していて、アウトロの和音もLunatic Soulっぽくてステキ。で、ヌーメタル的なファンキーな縦ノリグルーヴが気持ちいい#6”maniera”、再びダーク・ジャズっぽいインストの#7”白露”を挟んで、まるで想い人への恋文を謳うかのような歌詞に惹き寄せられる#8”celeste”、そして・・・
ぼく「この”focus”って絶対にElsianeリスペクトだよね・・・?」
匠「生きたい...」
ぼく「じゃあElsianeと対バンしてくれる?」
匠「生ぎだい!」
ぼく「やったぜ。」
sukekiyo×Elsiane ・・・話を振り出しに戻して→このsukekiyoとカナダのElsianeの親和性を真っ向から証明しているのが、今作のリード・トラックとなる”focus”の存在だ。おいら、Elsianeの1stアルバム『Hybrid』はトリップ・ホップ界の大名盤だと思ってて、まさしくElsiane屈指の名曲”Across the Stream”と同じフィーリングを感じたのがこの”focus”で、この曲が一足先に先行公開された時、この『VITIUM』はもの凄い作品になると予感した通りの結果だった。まるで『はぐれ刑事純情派』の刑事の殉職シーンのバックに流れるBGMのような、それこそ90年代のメロドラマのような哀愁に帯びたピアノとシンセによる優美な幕開けから、異国情緒豊かなスパニッシュなアルペジオや民族的なパーカッションを織り交ぜたトリップ・ホップ然としたアレンジをはじめ、かつsukekiyoらしいアヴァンギャリズムとフェティシズムを内包したプログレッシブなHENTAISMが爆発するかのような名曲だ。この流れで、次作はトリップ・ホップ路線もアリだと思った。そんでElsianeと対バン、あるいはボーカルのCapletteとデュエットしてくれたら他に言うことないです。実際、Elsianeを日本に呼べるアーティストってこのsukekiyoしかいないからね(とはいえ、スデに女王蜂あたりとは対バン決まってそうだけどね)。この曲は前作で言う”aftermath”的な立ち位置にあって、これだけでアルバムの存在価値を幾倍にもブチ上げている。
ン゛ギョウ×yasu ・・・今作では恒例のコラボアーティストとして→"出山ホームオブハート利三"ことX JAPANのToshiと俳優の三上博史氏が参加しており、5曲目の”雨上がりの優詩”ではToshiと、9曲目の”focus”では三上さんとン゛ギョウがデュエットを披露している。これまた驚きと意外な二人とのコラボだ。このコラボの何が面白いって→前者の”雨上がりの優詩”ではン゛ギョウが男役で、それこそ三上さんが出演してそうなバブリーなメロドラマ的な後者の”focus”ではン゛ギョウが女役やってる所で、その男性的な力強い一面と女性的な柔らかい一面を器用に早替わりする姿は、まるで中国の伝統芸能『変面』あるいは日本の伝統芸能『男の娘』もとい歌舞伎役者、それこそ一種の"ゲイシャ"さながらだ。しかし不安なのは、sukekiyoの存在が"コラボバンド"として認知されてしまう事への懸念で、確かに"なんでもアリ"なバンドかもしれないが、そういった固定概念やイメージが優先してしまう行為だけは避けてもらいたい。とはいえ、このバンドには"セオリー"などという言葉は存在しないので、余計な心配は無用か。しっかし、このタイミングでX JAPANのToshiとのコラボが実現したってんなら、次はX JAPANの正統後継者であるDIR EN GREYとJanne Da Arcのフロントマンであるン゛ギョウとyasuのコラボレーションを期待しないほうがオカシイ。両刀使いである彼女もとい彼らなら、最高に面白い化学反応を起こしてくれるハズだし、同時に『救世主復活』のキッカケになるかもしれないからね。まぁ、なんにしても、僕はン゛ギョウとyasuのアツいホモセックスが見たいんだ!ン゛ギョウとyasuのホモセックス!ン゛ギョウとyasuのホモセックス!
『混浴露天風呂連続殺人』 ・・・あらためて、どの曲を取ってもボーカル以外の楽器隊が織りなす、ほのかにジャジーな変態的リズム&ネットリグルーヴ、そして各ソロ・パートが際立っていて、俄然"バンド・サウンド"然とした音がダイレクトに伝わってくるし、悪く言えばチープな打ち込み感のような前作で感じたネガティブなイメージを見事に払拭している。そう、それこそスティーヴン・ウィルソンの1stアルバム『Insurgentes』と"SWバンド"としての3rdアルバム『The Raven That Refused to Sing (and Other Stories)』と似たような、"ソロ"なんだけど"ソロ"じゃな~い!みたいな確かな違いがある。ともあれ、子供の頃に『混浴露天風呂連続殺人』に出てくる巨乳のおっぱい姉ちゃんを初めて見た"あの頃"の煩悩がフラッシュバックするかのような、先日行われた名古屋公演のチケットを発券したにも関わらず結局行かなかったことを心の底から後悔させるような、もはや日本の変態番付のトップランカーをブチ抜いていくかのような、実にド変態なアルバムだ。相変わらず、ブックレットの質感、肌触りやビジュアル面でもsukekiyoの創作活動すなわちクリエイティブッ!!に対する"こだわり"が感じられる。しかし通常盤の犬ジャケほんとkawaii...

EP 『VITIUM』

Tracklist
01. leather field
02. dunes
03. dot
04. foster mother
05. 雨上がりの優詩
06. maniera
07. 白露
08. celeste
09. focus
『VITIUM』 ・・・DIR EN GREY(一巡)のデビュー作にして最高傑作である『ARCHE』を司るキーワードの一つに【sukekiyo】の存在があったことは否定しようがない事実で、そのDIR EN GREYのフロントマンであり"サVカル系男子"ことン゛ギョウのソロ・プロジェクト、tamapiyoもといsukekiyoの二作目となるミニアルバム『VITIUM』がリリースされた。
スタイリッシュ・HENTAI ・・・おいら、このン゛ギョウ率いるsukekiyoとRiversideのマリウスくん率いるLunatic Soulに親和性を見出していると同時に、カナダのElsianeに対しても同じような親和性を感じていて、何を言おうがこのミニアルバム『VITIUM』は、端的に言うとそのElsianeを彷彿とさせる、ジャズや80~90年代昭和歌謡の懐かしい匂い漂う作風となっている。デビュー作の『IMMORTALIS』と比較しても、かなり変則的いや変態的、様式的ではなく奇形的なスタイルで、前作で言うところの”zephyr”のようにキャッチーな分かりやすさはなくて、それこそsukekiyoの歪んだ性癖を垣間見るかのような、それは90年代メロドラマの濡れ場シーンばりのエロいムードを醸し出すような、それは日本が良くも悪くも輝いていた"あの頃"の情緒感を現代に蘇らせるかのような、俄然スケキヨの代名詞である"スタイリッシュ・HENTAI(紳士)"っぷりを発揮している。前作の『IMMORTALIS』は、言うなれば乱歩地獄を音像化したような、大正ロマン溢れるサVカル系ポスト-ミュージックを軸に、かつデビュー作なのもあって結構色々な事やってて、悪く言えば作品のコンセプトに一貫性がないように感じたが、逆に今回の『VITIUM』では【変態性】と【昭和歌謡】という2つのキーワードを二大コンセプトとして見定める(focus)する事で、作品に"まとまり"というのが生まれ、同時にバンドが"やりたいこと"が明確に意思表示できている。前作と比べて曲数が圧倒的に少ないにも関わらず、二作目の余裕というか"バンド"として成熟された感というか、楽器隊のアンサンブルがより強固(メタリック)になったことで、より深みが増した濃厚な世界観を構築している。そして今回、DIR EN GREYでもお馴染みのチュー・マッドセンをエンジニアとして起用した事で、"ン゛ギョウのソロ・プロジェクト"という枠組みを超えた、俄然"バンドとしてのsukekiyo"である事を強く印象づけている。要するに→前作の『IMMORTALIS』の延長線上やボツ曲集なんて事はなく、一つの全く新しいアルバムとして作り込まれた完成度の高さと、前作に優るとも劣らないsukekiyoのHENTAI的魅力、そして"新人バンド"としての未知なる可能性(ポテンシャル)が存分に詰まった一枚と言える。
・・・それこそ幕開けを飾る#1”leather field”が、この『VITIUM』を象徴していると言っても過言ではなくて、前作の”latour”を思わせるアルペジオや除夜の鐘の如し霊妙な和音を引き連れて、Opethの名盤『Still Life』ばりの複雑怪奇なリフ回しやGソロを織り交ぜながら、ワンワン!!と狂犬病にかかったようにン゛ギョウが豹変する怪奇的なパートへと展開していく。その成熟したバンド・アンサンブルに持ち前の"Post-感"が自然と溶け込む様は見事で、この曲だけで"ン゛ギョウのソロ・プロジェクト"ではなく"バンドとしてのsukekiyo"という力強い意思を感じ取ることができる。そして前作の”the daemon's cutlery”の流れにある、楽器隊の変態的で不規則なリズムを軸に妖しく展開する#2”dunes”を聴けば、あの『IMMORTALIS』では京のボーカル・メロディに楽器隊が引っ張られる形だったが、今回は楽器隊=バンド主導のアルバムだという事が理解できる。で、母なるスケ子が産み落とした赤児、その名もtamapiyoちゃんの歪んだ泣き声が暗黒の中で響き渡るインストの#3”dot”を挟み、一転してインプロビゼーションを意識したようなジャズ/フュージョン風のアダルティな匂いが靡く#4”foster mother”は、ネオンが夜の街を淡く妖艶に照らし出すような幕開けから、DIR EN GREY(一巡)の”懐春”に通じる芳ばしい香りとフェミニンなミニマリズムをもって、まるでエマニエル夫人のようにエロティックかつエレガントにユラメキながら、欲にまみれてどこまでも堕ちていく女の物語を描き出していく。

『はぐれ刑事変態派』 ・・・ところで、"あやや"こと松浦亜弥が2002年にリリースした”草原の人”という曲があるんだが、この曲は美空ひばりが書いた歌詞をつんく♂が作曲したもので、聴いたことある人はわかると思うが、それこそ往年の歌謡曲を彷彿とさせるメロディとノスタルジックな情緒に溢れた名曲だった。そして13年の時を経て、再び今度はsukekiyoが”雨上がりの優詩”とかいう歌謡曲を現代に産み落としたのだ。まるで『はぐれ刑事純情派』のカバー曲かな?ってなるくらい、テレサ・テン顔負けの和楽器とヴァイオリンを駆使した優美なイントロから、コブシを効かせたン゛ギョウの情感あふれるボーカル・メロディとピアノが織りなす哀愁に満ち溢れた音使いまで全てが往年の昭和歌謡そのもので、これはもはや『はぐれ刑事純情派』ならぬ『はぐれ刑事変態派』と言っていいレベルだ。特にサビの「別れた~」って所は凄いね。まるで堀内孝雄あるいは谷村新司、もしくはテレサ・テンの愛人魂がン゛ギョウに乗り移ったかのようなエロい息遣いと感情表現を見せつけている。僕が面白いと思ったのは、あの『ARCHE』ではこれまでと違って"大衆"に訴えかけるような"洗練"されたボーカル・メロディを聴かせていたン゛ギョウだが、この『VITIUM』では以前までのDIR EN GREYを超える昭和歌謡の流れを汲んだメロディを歌っていて、それがあまりにも対極であるということ、かつ本家のDIR EN GREYとも一線を画しているということだ。そもそも、ビジュアル系と歌謡曲というのは切っても切れない関係で、DIR EN GREYの同期であるJanne Da Arcのフロントマンyasuのソロ・プロジェクト、ABCことAcid Black Cherryは『Recreation』シリーズとして往年の歌謡曲をカバーしていたりするが、まさかオリジナル曲でソレをやっちゃうン゛ギョウすなわちsukekiyoの変態力の高さにはドエロのyasuもお手上げだろう。しかし、ただの歌謡曲で終わらない所がsukekiyoのド変態っぷりを表していて、アウトロの和音もLunatic Soulっぽくてステキ。で、ヌーメタル的なファンキーな縦ノリグルーヴが気持ちいい#6”maniera”、再びダーク・ジャズっぽいインストの#7”白露”を挟んで、まるで想い人への恋文を謳うかのような歌詞に惹き寄せられる#8”celeste”、そして・・・
ぼく「この”focus”って絶対にElsianeリスペクトだよね・・・?」
匠「生きたい...」
ぼく「じゃあElsianeと対バンしてくれる?」
匠「生ぎだい!」
ぼく「やったぜ。」
sukekiyo×Elsiane ・・・話を振り出しに戻して→このsukekiyoとカナダのElsianeの親和性を真っ向から証明しているのが、今作のリード・トラックとなる”focus”の存在だ。おいら、Elsianeの1stアルバム『Hybrid』はトリップ・ホップ界の大名盤だと思ってて、まさしくElsiane屈指の名曲”Across the Stream”と同じフィーリングを感じたのがこの”focus”で、この曲が一足先に先行公開された時、この『VITIUM』はもの凄い作品になると予感した通りの結果だった。まるで『はぐれ刑事純情派』の刑事の殉職シーンのバックに流れるBGMのような、それこそ90年代のメロドラマのような哀愁に帯びたピアノとシンセによる優美な幕開けから、異国情緒豊かなスパニッシュなアルペジオや民族的なパーカッションを織り交ぜたトリップ・ホップ然としたアレンジをはじめ、かつsukekiyoらしいアヴァンギャリズムとフェティシズムを内包したプログレッシブなHENTAISMが爆発するかのような名曲だ。この流れで、次作はトリップ・ホップ路線もアリだと思った。そんでElsianeと対バン、あるいはボーカルのCapletteとデュエットしてくれたら他に言うことないです。実際、Elsianeを日本に呼べるアーティストってこのsukekiyoしかいないからね(とはいえ、スデに女王蜂あたりとは対バン決まってそうだけどね)。この曲は前作で言う”aftermath”的な立ち位置にあって、これだけでアルバムの存在価値を幾倍にもブチ上げている。
ン゛ギョウ×yasu ・・・今作では恒例のコラボアーティストとして→"出山ホームオブハート利三"ことX JAPANのToshiと俳優の三上博史氏が参加しており、5曲目の”雨上がりの優詩”ではToshiと、9曲目の”focus”では三上さんとン゛ギョウがデュエットを披露している。これまた驚きと意外な二人とのコラボだ。このコラボの何が面白いって→前者の”雨上がりの優詩”ではン゛ギョウが男役で、それこそ三上さんが出演してそうなバブリーなメロドラマ的な後者の”focus”ではン゛ギョウが女役やってる所で、その男性的な力強い一面と女性的な柔らかい一面を器用に早替わりする姿は、まるで中国の伝統芸能『変面』あるいは日本の伝統芸能『男の娘』もとい歌舞伎役者、それこそ一種の"ゲイシャ"さながらだ。しかし不安なのは、sukekiyoの存在が"コラボバンド"として認知されてしまう事への懸念で、確かに"なんでもアリ"なバンドかもしれないが、そういった固定概念やイメージが優先してしまう行為だけは避けてもらいたい。とはいえ、このバンドには"セオリー"などという言葉は存在しないので、余計な心配は無用か。しっかし、このタイミングでX JAPANのToshiとのコラボが実現したってんなら、次はX JAPANの正統後継者であるDIR EN GREYとJanne Da Arcのフロントマンであるン゛ギョウとyasuのコラボレーションを期待しないほうがオカシイ。両刀使いである彼女もとい彼らなら、最高に面白い化学反応を起こしてくれるハズだし、同時に『救世主復活』のキッカケになるかもしれないからね。まぁ、なんにしても、僕はン゛ギョウとyasuのアツいホモセックスが見たいんだ!ン゛ギョウとyasuのホモセックス!ン゛ギョウとyasuのホモセックス!
『混浴露天風呂連続殺人』 ・・・あらためて、どの曲を取ってもボーカル以外の楽器隊が織りなす、ほのかにジャジーな変態的リズム&ネットリグルーヴ、そして各ソロ・パートが際立っていて、俄然"バンド・サウンド"然とした音がダイレクトに伝わってくるし、悪く言えばチープな打ち込み感のような前作で感じたネガティブなイメージを見事に払拭している。そう、それこそスティーヴン・ウィルソンの1stアルバム『Insurgentes』と"SWバンド"としての3rdアルバム『The Raven That Refused to Sing (and Other Stories)』と似たような、"ソロ"なんだけど"ソロ"じゃな~い!みたいな確かな違いがある。ともあれ、子供の頃に『混浴露天風呂連続殺人』に出てくる巨乳のおっぱい姉ちゃんを初めて見た"あの頃"の煩悩がフラッシュバックするかのような、先日行われた名古屋公演のチケットを発券したにも関わらず結局行かなかったことを心の底から後悔させるような、もはや日本の変態番付のトップランカーをブチ抜いていくかのような、実にド変態なアルバムだ。相変わらず、ブックレットの質感、肌触りやビジュアル面でもsukekiyoの創作活動すなわちクリエイティブッ!!に対する"こだわり"が感じられる。しかし通常盤の犬ジャケほんとkawaii...
sukekiyo
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売り上げランキング: 1,518
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Artist mori wa ikiteiru

Album 『森は生きている』

Tracklist
森は生きている ・・・の2ndアルバム『グッド・ナイト』は、Porcupine Treeのスティーヴン・ウィルソンやミカエル・オーカーフェルトもビックリの"プログレ"以外ナニモノでもない、2014年の邦楽界を代表する現代プログレの傑作だったが、彼らが2013年にリリースしたセルフタイトルの1stアルバム『森は生きている』は、その2ndアルバムとは一味違って→「ほーん、これがインディかぁ」って感じの作品となっている。それはオープニングを飾る”昼下がりの夢”や”雨上がりの通り”を聴けばわかるように、ジャズィなピアノと竹川くんのユル~いボーカルで優美な雰囲気で聴かせる曲調に、サックスやトランペットなどの吹奏楽器を使ってファンキーなノリを積極的に取り入れている。次作の『グッド・ナイト』のように、スケール感のあるプログレッシブな構成力やスリリングな展開力などの過剰演出で聴かせるのではなくて、あくまでも自然な流れでシンプルに、言うなればジャズ的な即興演奏(インプロビゼーション)を意識した、まるで森のせせらぎを奏でる妖精音楽隊となって癒しの空間を提供している。より身近で、より日常的な空気感を纏った、より斉藤和義をイメージさせる大人びたサウンド・スタイルだ。
・・・とはいえ、”回想電車”や”断片”の音使いからは60~70年代のヴィンテージなクラシック・ロックを彷彿とさせ、”光の蠱惑”や大作の”ロンド”では次作への伏線とも取れる展開力の高さを発揮していたりと、その持ち前のミニマリズムやさり気ないプログレスなアプローチを加えた音には、確かに名盤『グッド・ナイト』の片鱗が随所に散りばめられている。要するに→この1stアルバムを"原型"に、若さ溢れる咀嚼力によってサイケ/アンビエント/現代プログレ/アヴァンギャルドなどのジャンルへの視野が広がって音がスケールアップし、そしてバンドの中心人物である岡田君のライティング能力の覚醒が重なった結果というか、謎の突然変異で『グッド・ナイト』が生まれたのではなく、この1stアルバムを素直に発展させたのが『グッド・ナイト』だという事がわかる。つまり"化けた"と表現するより"正統進化"と言ったほうが的確か。あらためて、"プログレッシブ"という明確な意志をもって曲作りに徹したアルバムが『グッド・ナイト』だって事。その2ndアルバムほどのインパクトや凄みこそないが、その音はデビュー作とは思えない高水準の完成度を誇っている。少なくとも、あの『グッド・ナイト』を作るだけのポテンシャルはスデに今作のアチラコチラに点在している。なんだろう、この1stアルバムがメインボーカルの竹川くん主体で、次作の2ndアルバムがバンドの心臓部である岡田くん主体に作られているイメージがあって、その違いは主に作曲面やボーカル面からも垣間見ることができるのだが、とにかく『グッド・ナイト』では岡田くんが本気出しちゃった感が強くて、というより、あらゆる面で"欲"を出してきたというか、明らかに勝負しにきた感がある。とにかく、岡田くんと竹川くんの関係性は見ていて面白いし、というより、このコンビの力加減でどうにでもなるし、その二人の仲介役となっている歌詞担当の増村くんの存在に俄然萌える。
幕開けを飾る”昼下がりの夢”の「走り出す少女の影」を題材にした歌詞は、2ndアルバム『グッド・ナイト』の一曲目を飾る”プレリュード”の歌詞とリンクしていてニヤリとする。そして、このタダモノじゃなさを醸し出すプロダクションと音使いからは、あらためて彼らの"音"に対する異常なほどの”こだわり”や新人離れした音楽家としての意識の高さを伺わせる。一転してシュビドゥバ系のレトロなコーラスと心弾むようなピアノでノリの良いリズミカルなビートを刻んでいく曲で、一部童謡から引用した歌詞が印象的な”雨上がりの通り”、ハモンド・オルガンとアンニュイにユラめくギターのプログレスキーな音色を中心に、田舎の無人の一両編成電車の如くユッタリと聴かせる”回想電車”、哀愁ただようピアノと竹川くんの歌声による悲しげな幕開けから、一転して多彩な楽器を擁しエレクトリカルなアレンジを効かせた賑やかな展開を見せる”光の蠱惑”、再びクラシックなオルガンの音色やトランペットとギターがファンキーなジャズ感を醸し出す”断片”、次作への伏線となるミニマルな大作の”ロンド”、岡田くんがメイン・ボーカルを担うサイケ・ポップな”日傘の蔭”、今作のハイライトを飾る曲で、雨上がりのアスファルトの匂いが立ち込めるノスタルジックな”帰り道”、最後はカントリー風アコースティック・ナンバーの”日々の泡沫”で終演。
相変わらず数多くのチェンバーな楽器を駆使した、意識高い系文学青年もといハルキストあるいはトクマルシューゴ大好き武蔵野芸人の皆さんが、森のほとりで執り行われる質素なエレクトリカル・パレードを仲よさげに繰り広げている。しかし気になるのは、このまま2ndの流れを踏襲したプログレ路線が続くのか、はたまたインディ路線に回帰するのか・・・?早くも彼らの次作が楽しみでしょうがないし、次世代の邦楽界を担うであろう若者の音楽を僕は後押ししていきたい。

Album 『森は生きている』

Tracklist
01. 昼下がりの夢
02. 雨上がりの通り
03. 回想電車
04. 光の蠱惑
05. 断片
06. ロンド
07. 日傘の蔭
08. 帰り道
09. 日々の泡沫
森は生きている ・・・の2ndアルバム『グッド・ナイト』は、Porcupine Treeのスティーヴン・ウィルソンやミカエル・オーカーフェルトもビックリの"プログレ"以外ナニモノでもない、2014年の邦楽界を代表する現代プログレの傑作だったが、彼らが2013年にリリースしたセルフタイトルの1stアルバム『森は生きている』は、その2ndアルバムとは一味違って→「ほーん、これがインディかぁ」って感じの作品となっている。それはオープニングを飾る”昼下がりの夢”や”雨上がりの通り”を聴けばわかるように、ジャズィなピアノと竹川くんのユル~いボーカルで優美な雰囲気で聴かせる曲調に、サックスやトランペットなどの吹奏楽器を使ってファンキーなノリを積極的に取り入れている。次作の『グッド・ナイト』のように、スケール感のあるプログレッシブな構成力やスリリングな展開力などの過剰演出で聴かせるのではなくて、あくまでも自然な流れでシンプルに、言うなればジャズ的な即興演奏(インプロビゼーション)を意識した、まるで森のせせらぎを奏でる妖精音楽隊となって癒しの空間を提供している。より身近で、より日常的な空気感を纏った、より斉藤和義をイメージさせる大人びたサウンド・スタイルだ。
・・・とはいえ、”回想電車”や”断片”の音使いからは60~70年代のヴィンテージなクラシック・ロックを彷彿とさせ、”光の蠱惑”や大作の”ロンド”では次作への伏線とも取れる展開力の高さを発揮していたりと、その持ち前のミニマリズムやさり気ないプログレスなアプローチを加えた音には、確かに名盤『グッド・ナイト』の片鱗が随所に散りばめられている。要するに→この1stアルバムを"原型"に、若さ溢れる咀嚼力によってサイケ/アンビエント/現代プログレ/アヴァンギャルドなどのジャンルへの視野が広がって音がスケールアップし、そしてバンドの中心人物である岡田君のライティング能力の覚醒が重なった結果というか、謎の突然変異で『グッド・ナイト』が生まれたのではなく、この1stアルバムを素直に発展させたのが『グッド・ナイト』だという事がわかる。つまり"化けた"と表現するより"正統進化"と言ったほうが的確か。あらためて、"プログレッシブ"という明確な意志をもって曲作りに徹したアルバムが『グッド・ナイト』だって事。その2ndアルバムほどのインパクトや凄みこそないが、その音はデビュー作とは思えない高水準の完成度を誇っている。少なくとも、あの『グッド・ナイト』を作るだけのポテンシャルはスデに今作のアチラコチラに点在している。なんだろう、この1stアルバムがメインボーカルの竹川くん主体で、次作の2ndアルバムがバンドの心臓部である岡田くん主体に作られているイメージがあって、その違いは主に作曲面やボーカル面からも垣間見ることができるのだが、とにかく『グッド・ナイト』では岡田くんが本気出しちゃった感が強くて、というより、あらゆる面で"欲"を出してきたというか、明らかに勝負しにきた感がある。とにかく、岡田くんと竹川くんの関係性は見ていて面白いし、というより、このコンビの力加減でどうにでもなるし、その二人の仲介役となっている歌詞担当の増村くんの存在に俄然萌える。
幕開けを飾る”昼下がりの夢”の「走り出す少女の影」を題材にした歌詞は、2ndアルバム『グッド・ナイト』の一曲目を飾る”プレリュード”の歌詞とリンクしていてニヤリとする。そして、このタダモノじゃなさを醸し出すプロダクションと音使いからは、あらためて彼らの"音"に対する異常なほどの”こだわり”や新人離れした音楽家としての意識の高さを伺わせる。一転してシュビドゥバ系のレトロなコーラスと心弾むようなピアノでノリの良いリズミカルなビートを刻んでいく曲で、一部童謡から引用した歌詞が印象的な”雨上がりの通り”、ハモンド・オルガンとアンニュイにユラめくギターのプログレスキーな音色を中心に、田舎の無人の一両編成電車の如くユッタリと聴かせる”回想電車”、哀愁ただようピアノと竹川くんの歌声による悲しげな幕開けから、一転して多彩な楽器を擁しエレクトリカルなアレンジを効かせた賑やかな展開を見せる”光の蠱惑”、再びクラシックなオルガンの音色やトランペットとギターがファンキーなジャズ感を醸し出す”断片”、次作への伏線となるミニマルな大作の”ロンド”、岡田くんがメイン・ボーカルを担うサイケ・ポップな”日傘の蔭”、今作のハイライトを飾る曲で、雨上がりのアスファルトの匂いが立ち込めるノスタルジックな”帰り道”、最後はカントリー風アコースティック・ナンバーの”日々の泡沫”で終演。
相変わらず数多くのチェンバーな楽器を駆使した、意識高い系文学青年もといハルキストあるいはトクマルシューゴ大好き武蔵野芸人の皆さんが、森のほとりで執り行われる質素なエレクトリカル・パレードを仲よさげに繰り広げている。しかし気になるのは、このまま2ndの流れを踏襲したプログレ路線が続くのか、はたまたインディ路線に回帰するのか・・・?早くも彼らの次作が楽しみでしょうがないし、次世代の邦楽界を担うであろう若者の音楽を僕は後押ししていきたい。
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