Welcome To My ”俺の感性”

墓っ地・ざ・ろっく!

HAZUKI - EGØIST

Artist HAZUKI
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Album 『EGØIST』
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Tracklist
01. EGOIZM
02. XANADU
03. C.O.M.A.
04. 七夕乃雷 -Shichiseki no rai-
05. AM I A LOSER?
06. CALIGULA
07. LIGHT
08. THE MIDNIGHT BLISS
09. HEROIN(E)
10. ROMANCE
11. +ULTRA
12. BABY,I HATE U.
13. CYGNUS

以前の記事に「今年のヴィジュアル系はDIR EN GREYと摩天楼オペラとImperial Circus Dead Decadenceの新譜3枚だけ聴いときゃ間に合う」的な事を書いた気がするけど、それでは現在のヴィジュアル系ボーカリストのソロ事情ってどないやねんと。

いわゆる「V系バンドのボーカリストのソロ・プロジェクト」というと、一先ずX JAPANの出山ホームオブハート利三改め龍玄としはさて置き、代表される所ではルナシーの河村隆一やラルクのHYDEが有名だが(ラルクはV系じゃないだろ!w)、個人的にV系バンドのボーカリストのソロといえば、Janne Da Arcのボーカルyasuのソロ・プロジェクトであるAcid Black Cherryに他ならなくて、自分の中では過去に何度もライブに足を運ぶほどの存在だった。しかし、バンドマンのソロ活動において最大の懸念とも言える「本家のバンド(JDA)よりもソロ(ABC)の方が人気が出ちゃったパティーン」←これに該当したのがJanne Da Arcyasuの関係性だったのも事実。ご存知、その結末としては(表向きでは)某メンバーのやらかしによって、長らく活動休止中だった本家ジャンヌは解散を余儀なくされ、静養中だったyasu自身も活動休止という名の実質引退宣言を発表するに至った。ともあれ、自分の知る限りではV系バンドマンのボーカリストはソロでも成功している例が比較的多いイメージがある。

そんな、大阪の枚方市からヴィジュアル系バンドならではのナルシシズムやエロさを追求したのがJanne Da Arcのyasuだとするなら、yasuとは別次元の“エロさ”を名古屋県は名古屋市から発信しているのがlynch.のボーカルである葉月だ。そんな、名古屋県を代表するネオ・ヴィジュアル系バンドのフロンロマンであるHAZUKIの記念すべきソロデビュー作となる『EGØIST』は、(Acid Black Cherryよりも全然見識の広い)現代的なヘヴィミュージックに精通しているバンドのフロンロマンだからこそ成せるソロ・プロジェクト、そのヴィジュ仕草をまざまざと見せつけるような内容となっている。

本家lynch.のエクストリーミーな音楽性とシンクロするように、V系ならではの艶やかな歌声の葉月とスクリーマーとしての葉月が共存する、それこそDIR EN GREYのボーカリスト京に肉薄するほどストイックなボイスチェンジャーでも知られる彼は、このソロアルバムにおいてもJ-POPさながらの楽曲と、その対極にあるエクストリームな楽曲をスムースに歌い分ける、持ち前のフレキシブルな才能が遺憾なく発揮されている。

本作の幕開けを飾るバキバキの打ち込みSEに次ぐシングルで、世界的な歌姫オリビア・ニュートン=ジョンの同曲名を冠する#2“XANADU”からして、「声が出せないのであれば」とばかりにオーディエンスの気分をageるクラップユアハンズを要求しながら、相対性理論さながらの00年代のオルタナ風のバッキングを背に、ヴィジュアル系のルーツの一つである昭和歌謡さながらのクサいメロディを発する葉月の歌声が俄然“ポップ”で“キャッチー”に織りなす、まさにHAZUKIのソロデビューその幕開けを飾るに相応しい一曲となっている。

一転して、lynch.らしいメタルコア然としたモダンなスタイルとスクリーマーとしての葉月を垣間見せる#3“C.O.M.A.”、本作で最も“ポップ”と呼んでいいメルヘンチックなキラキラシンセをフィーチャーした、魔訶不思議アドベンチャー!ばりにエキゾチックな世界観に観客を誘う#4“七夕乃雷 -Shichiseki no rai-”、古き良きV系らしいパンキーでファンキーなアプローチを効かせた#5“AM I A LOSER?”、冒頭からジャジーでアダルティなオトナの雰囲気を醸し出す...それこそAcid Black Cherryの“黒猫 ~Adult Black Cat~”とシンクロするバーレスク東京さながらのシャッフルソングの#6“CALIGULA”、その流れでyasuも葉月もリスペクトするラルクのHYDEが作曲/プロデュースした中島美嘉の“GLAMOROUS SKY”とシンクロする#7“LIGHT”、そしてアルバム中盤のハイライトを飾る#8“THE MIDNIGHT BLISS”の何が凄いって、ギターの弦の重心をゴリッと落としたヘヴィネスとサビの悪魔と成り 永遠をこの夜に~とかいうヴィジュアル系然とし過ぎている厨ニ歌詞を情感を垂れ流しながら肉欲的に歌い上げる葉月のエロい歌声が好き過ぎるヘヴィバラードで、シンプルに葉月にしかできないバラードって感じで「んほ~たまんね~」ってなる。

確かに、邪道っちゃ邪道かもしれんけど、この手のヘヴィなバラードに弱い性癖というか嗜好回路を持つギャ男...とまではいかないピチピチのジャンナーだからしょうがないけど、とにかく秋口にさしかかる今まさに聴いてほしい、秋の夜空に映える一曲だと思う。また、それらの個人的な嗜好のみならず、ジョーダン・フィッシュさながらのモダンなシンセやインダストリアルなアレンジには、葉月なりのBMTH愛が仕込まれている気がするし、この曲の一定のテンポを維持する重厚感溢れるドラミングは摩天楼オペラのドラマーである響が担当しているとか・・・これ以上は書ききれないほど「俺の好き」が詰め込まれ過ぎている(そら“永遠”リピートするわ)。

再びギアチェンしてlynch.風のモダンヘヴィネスをベースに、間奏パートではDjentの影響下にあるテクニカルでマッシーな動きを見せる#9“HEROIN(E)”、そのタイトルはもとより、サックスをフィーチャーしたスカパンク的なチャラいノリまでJanne Da Arcの“ROMANCE”をフラッシュバックさせる#10“ROMANCE”、ポスト・マローン並のAEPXフリーク(最高ダイヤ帯)であるゲーマー葉月らしいタイトル(オクタンのタトゥー)が名付けられたラウドロックの#11“+ULTRA”、V系現場のライブハウスでしか見られない光景が頭に浮かび上がる#12“BABY,I HATE U.”、そしてアルバムのラストを飾る#13“CYGNUS”は、未来への希望と光に満ち溢れたノスタルジックなキーボードの旋律が、それこそ本家lynch.を襲った武道館公演の延期およびバンドの活動休止を含めて、この数年の間に身をもって苦渋を飲む経験を重ねてきた葉月の胸中を物語っているようでもあり、しかし一方で、その苦しい状況下でlynch.を支え続けたバンギャの想いが巨大なシンガロングとなって、この11月に遂に実現(約束)を果たす武道館の天井に響き渡るような、とにかく不慮の出来事によりバンドが活動停止に追い込まれた葉月の信念が凝縮されているようで、あまりに説得力に溢れ過ぎていて泣く。それはまるで(言)葉が奏でる響きと(夜)月が照らし出す朧気な光が、この世界の闇を覆い尽くすように...。

この『EGØIST』は「ヴィジュアル系バンドのボーカル葉月のソロ・プロジェクト」←ただそれだけのようでいて、実は葉月がライブハウスにおけるステージ側の視点からオーディエンスを「視ている」、一方でlynch.のファンは武道館のアリーナ/スタンド席側から未来の葉月とlynch.の姿を「視ている」、要するに「過去」と「未来」が交錯する2つの視点、すなわち“視覚”から“聴覚”が呼び起こされた結果の作品であると。ともあれ、同様にポップな視点とヘヴィな視点が理路整然と入り乱れた、一見矛盾するかのようなラウドロックを繰り広げる本作は、lynch.のファンのみならず、Acid Black Cherryや龍玄ナンチャラに代表されるヴィジュアル系ボーカリストが好きなら必須アイテムです。

Muse - Will Of The People

Artist Muse
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Album 『Will Of The People』
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Tracklist
01. Will Of The People
02. Compliance
03. Liberation
04. Won’t Stand Down
05. Ghosts (How Can I Move On)
06. You Make Me Feel Like It’s Halloween
07. Kill Or Be Killed
08. Verona
09. Euphoria
10. We Are Fucking Fucked

Museはメタル・・・というのも、何を隠そう初期のMuseって一部界隈住人からはプログレ兼メタルというか、厳密に言えばオルタナティブ・ヘヴィの文脈で語られるようなバンドで、しかし近作においてはチャーチズさながらの80年代風のシンセ/エレクトロ主体の作風が相次ぎ、気づけばソッチ界隈では微塵も話題に挙がらない存在となっていた。そんなUKロックを代表するMuseが今回、初期作における“Museはメタル”の精神を引っ提げた、約4年ぶりとなる待望の新作でカムバックしてきた件について。


この『Will Of The People』の足がかりとなる、1stシングルの“Won’t Stand Down”の何にド肝を抜かれたかって、“メタル”は“メタル”でも今やUKを代表するモンスターバンドと化したBring Me the Horizonの“MANTRA”を彷彿とさせるカルト宗教の儀式的なMVをはじめ、同バンドがEDMポップスと化した問題作の『amo』における某シングルのアイコニックなリフ、そしてUSのDeftones『Diamond Eyes』で目覚め20年作の『Ohms』において確立させた“20年代のヘヴィネス”を、Museなりの解釈でオマージュしてんのがガチでヤバ過ぎる件。で、シャウトとともにザックザクにキザミに刻んでくる俄然メタリックな間奏パート、およびメインリフのヘヴィネスが入ってくる直前の“タメ”に該当するギターのギョーンギョーンギョーンも同様にアイコニックかつパンチライン過ぎて語彙力消失(バッキングのシンセの音とか、ほぼほぼジョーダン・フィッシュ)。

とにかく、今や日本のアイドル(PassCode)やガールズバンド(Trident)にオマージュや楽曲カバーされるBMTHがいかにしてアイコニックな存在となったのかを、UKロックレジェンドのMuse“MuseなりのBMTH”と呼ぶべき1stシングルを介して証明して見せるという想定外の展開に、改めて現行のヘヴィミュージックシーンはBMTHを中心に回っている事に感動を覚えた。そもそもの話、このシングルだけ『amo』以降のBMTHや最近のDIR EN GREYお抱えのエンジニアであるダン・ランカスターを迎えている時点でほぼ確信犯です。


1stシングルと並び“ミューズはメタル”の直接的なアンサーソングとなる#7“Kill Or Be Killed”は、冒頭のGojiraさながらのテック・リフとメシュガーさながらのギョーンの合せ技からして、もはや“ミューズなりのメシュゴジラ”の領域に片足を突っ込んじゃってる、それこそ3rdアルバム『Absolution』における“The Small Print”を超えるミューズ史上最高にヘヴィな曲で、その“20年代のヘヴィネス”の原型となるメシュゴジラに象徴される現代的なプログレ・メタルのアプローチやデスメタルさながらの間奏パート、そしてイケメンことハーマン・リ顔負けのピロピロギターソロが織りなす、まさに初期作の楽曲を正統にアップデイトさせたようなゴリッゴリのメタルを繰り広げている。

なんだろう、00年代を代表するUKオルタナのMuseが、当時しのぎを削ったUSオルタナのDeftonesと約20年の時を経て邂逅するエモ(amo)さったらないというか、ザックリ約20年のブランクがあるにも関わらず、現代ヘヴィミュージック界のトレンドである“20年代のヘヴィネス”を的確に捉えるマシュー・ベラミーの審美眼、その“したたかさ”に震える。リアルな話、来年のダウンロードフェスジャパンで全然トリでいけるっしょ(準トリがBMTHで)

自分の中では完全に終わったバンドという認識だったのに、今作聴いたら「ホーリーシェイ!」ってなったわ。なんだろう、近作の内容があまりに酷すぎた結果、自分みたいな初期厨のニワカファンが離れて一気に人気を落としたタイミングで、(海外ではワーナーだが、日本におけるレーベルを担う)Fソニーが「あんたら人気落ちとるからエエ加減に売れる曲書いて初期みたいなメタル回帰してもろて」みたいにケツ叩かれたとしか思えない、知らんけどw

確かに、音楽通ぶりたい批評家からは近作と同様に不評だと思うけど、俺らみたいな初期厨のニワカが寄ってたかって飛びつき、手放しで褒め称えそうな楽曲をFソニーにスパンキングされて意図的にソングライティングしてきたわけだから、そのバンドというよりはレーベルの意向を素直に汲んで受け取るべきだし、むしろMuseニワカであるメタラーの俺たちが支持したらんと誰も支持せんと思うわ今作。


そもそも、オペラさながらの大仰なクワイアが「ちんこ~ちんこ~」という空耳を連呼する表題曲の#1“Will Of The People”からして、本作におけるサウンド・スタイルの回帰を示唆するキザミを効かせたハードロック的な曲調だし、他にも前作の『Simulation Theory』における80年代路線を踏襲した、映画『ロッキー』の劇中歌であるヨーロッパの“ザ・ファイナル・カウントダウン”のオマージュとばかりのシンセをフィーチャーした曲で、この絶妙なタイミングで「昆虫すごいぜ!」のカマキリ先生こと香川照之やキャバ嬢にてめぇの爆乳さわってもいい?と聞いてそうなひろゆきに対して企業コンプライアンスの大切さを訴える#2“Compliance”、UKレジェンドことクイーンの意思を受け継ぐかの如しクラシカル/オペラティックなコーラスワークをフィーチャーした#3“Liberation”、ピアノ主体のバラードナンバーの#4“Ghosts (How Can I Move On)”、再びジョン・カーペンターの『ハロウィン』シリーズや『エルム街の悪夢』などの70年代から80年代にかけてのスラッシャー/ホラー映画的なゴシック・ミュージカルを繰り広げる#6“You Make Me Feel Like It’s Halloween”、マシュー・ベラミーのファルセットボイスをフィーチャーしたバラードの#8“Verona”、Bメロで「乳輪~」と空耳させることで再び日本人に対してコンプライアンスのギリギリを攻める#9“Euphoria”、飼い主であるFソニーに対してFワードを吐いて抗う曲で、同UKのPure Reason Revolutionさながらのクラシカルな電子ロックの#10“We Are Fucking Fucked”まで、とにかく“ファイナル・カウントダウン”オマージュといい、80年代ホラー映画の明確な影響といい、コンプライアンスのギリギリのラインを攻める下ネタ(空耳)といい、なんだろう全体的にBMTH(Deftones)meetチャーチズとでも例えたくなる作風で(Deftonesは主宰のフェスでチャーチズと共演しているのも伏線)、もはやピンズドで俺受けを狙ってるとしか思えないし、これマジでFソニーにケツぶっ叩かれてるってw

dynastic - Rare Haunts, Pt. I

Artist dynastic
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Album 『Rare Haunts, Pt. I』
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Tracklist
01. the actor
02. 54320 (feat. DJ Re:Code)
03. lovely aka fire away (feat. Jedwill)
04. 8 months in my head (feat. goji!)
05. brand new rainbow
06. still watching? (feat. PSX)
07. bela fujoshi's dead
08. karma! (feat. mothgirl)
09. mary kate & executioner (feat. Eichlers, oldphone)
10. pining, revisited
11. dattebayo

さしずめ“ハイパーポップ化したマイケミ”とでも称すべき、記念すべき1stアルバムI Know There's Something Left for Youを今年の2月に発表したサンフランシスコ出身のdynasticといえば、それこそ「あの頃の洋楽」を象徴するマイケミさながらのエモ/ポップパンクとZ世代を象徴する音楽ジャンルであるハイパーポップ、そして昨今のBandcamp界隈のトレンドが混沌とした現代社会の闇渦の中で邂逅した、日本の(sic)boyとともに「第5世代のエモ」を司る次世代アーティストの一人だ。

そんなdynasticの約半年ぶりとなる2ndアルバム『Rare Haunts, Pt. I』は、それこそ幕開けを飾る#1“the actor”からして、「古き良き俺たちの洋楽」を司るコテコテのポップパンクにイマドキのトラッピーなビートを打ち込んだハイパーロック!を繰り広げると、互いの作品でフィーチャリングし合う仲の盟友DJ Re:Codeを迎えた#2“54320”、ハイパーポップならではのカオスを内包したグリッチーなアレンジとエモパンクが交錯する#3“lovely aka fire away”、いわゆるバンキャン・ミュージックとしての側面を垣間見せるローファイ志向の強い#4“8 months in my head”、ハードロックさながらのエッジを効かせたギターを打ち出したドライヴ感あふれるポスト・ハードコアの#5“brand new rainbow”や同曲よりも俄然ソリッドでヘヴィな#6“still watching?”、その全てを飲み込まんとする激情的なシャウトとポスト・メタリックな轟音ギターがブルータルなデカダンスを奏でる曲で、日本のサブカルを司る“腐女子”を冠する#7“bela fujoshi's dead”、米南部のカントリー/ブルース風の冒頭から一転してテキサスのGonemageMachine Girlさながらのカオティックなニンテンドーコアを展開する#8“karma!”を筆頭に、ローファイやノイズ/グリッチ、バキバキのオートチューンや“emo(イーモゥ)”特有の内省的なメロディ、そしてケロケロボニト的なバブルガム/サブカル要素の巧みなクロスオーバーを実現させた、ハイパーポップならではのバラエティに富んだ1stアルバムに対して、この2ndアルバムはあくまでフィーチャリングの楽曲を中心としながらも、ポップパンク・リバイバルの視点はもとより、俄然ポストハードコアに肉薄するエッジを効かせたギター・サウンドに著しく傾倒している印象。もはやハイパーポップ云々は抜きにしてメロコア好きなら絶対に聴いてほしいレベル。


そしてdynasticのサブカルヲタクっぷりを確信付ける#10“pining, revisited”では、冒頭から見栄なり流行なり妄想なり阿呆なり、あらゆるものを呑み込んで、たとえ行く手に待つのが失恋という奈落であっても、暗闇に跳躍すべき瞬間があるのではないか(それができりゃ苦労しないよ)。今ここで跳ばなければ、未来永劫、薄暗い青春の片隅をくるくる回り続けるだけではないのか。このまま彼女に想いを打ち明けることなく、ひとりぼっちで明日死んでも悔いはないと言える者がいるか。いるならば前へ!とかいう、湯浅政明監督のアニメ映画『夜は短し歩けよ乙女』の先輩役CVの星野源のセリフのサンプリングが飛び込んできたと思ったら、最後は同作に“黒髪の乙女”のCVとして出演している花澤香菜さんの大切にしますのサンプリングで締めくくる神オチ。なんだろう、今回のサンプリングはParannoulがアニメ『NHKにようこそ!』からサンプリングした某曲を彷彿とさせる激情ハードコア味を感じた(サンボマスターじゃないけど)。


まさかの星野源、まさかの花澤香菜さんのサンプリングは流石に笑ったけど、その謎めいたJapanese fujoshi要素は、実はdynasticが2021年に発表した“火事! 金玉で!!”とかいうタイトルのコラボ曲(謎すぎるタイトルや下ネタ全開の歌詞に反してめっちゃいい曲)において、日本語の歌詞を交えてフィーチャリングしたのが今回の伏線として存在しているのも事実。中でも、地元がサンフランシスコの“外人”が英語の歌詞が思いつかなかったから日本語でてめぇの爆乳さわってもいい?とか言っちゃうスクールカースト最底辺の非モテを極めたリリックは、もはやEワードを超えたDT(童貞)ワード過ぎて笑う(この曲がたった500再生程度とか...もう人類は音楽を聴く資格ないです)。
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